銀の風

二章・惑える五英雄
―27話・予測できぬ伏兵―



一方こちらはセシル達。
あの後大急ぎでバロンに向かったのだったが、
到着したのは滞在予定日数を1日ほど過ぎてからのことだった。
突発的に目的地を増やした挙句、
天候不順のせいで、ミシディアから出発するのが遅れてしまったのだから仕方がない。
執務室についたのはもう真夜中だった。
その前に、ゴルベーザはルビカンテやバルバリシアと共に貴賓室にうつっている。
カインに今あわせることは憚られた。
個人的感情云々ではなく、時間が遅いからだ。ゆっくり話をする暇も余裕もない。
「遅かったな『国王陛下』並びに『王妃殿下』。
ミシディアに行ったのは、会談ではなく外遊だったのか?」
セシルの執務室で待っていたカインが、皮肉たっぷりに迎えてくれた。
彼はセシルとローザが留守の間、国王代行を務める宰相の補佐に当たらされたので無理もない。
ちなみに代行を務めてくれた当の宰相は、
先代のバロン王の信頼が厚かった非常に有能な人物である。
偽バロン王ことカイナッツオが立った時は国外追放されていたが、
セシルが即位してから帰ってきたのだ。
「……悪かった。遅刻してごめん。」
「ちょっと、突発的な用事が出来たのよ。ごめんなさい……。」
遅れる旨をデビルロードで先に行かせた近衛兵に伝えさせたとはいえ、
カインが怒るのはもっともだ。素直に二人は謝った。
彼は自分の竜騎士団だけでなく、国政の面倒も見させられたのだから。
よく、慣れない激務に耐えられたものだ。
「まぁいい。帰ってきて早々だが、お前らに休んでいる時間は無いぞ。
……緊急事態発生だ。」
カインは不機嫌な顔から一転、深刻みを帯びた厳しい表情にかわった。
『えっ……?!』
セシルとローザに衝撃が走る。
自分たちが少し国を開けていた間に、何か反乱でも起きたのだろうか。
それとも、ダークメタル・タワーの方に何か動きがあったのかも知れない。
「バロン城下町周辺で、お前らが帰ってくる少し前に疫病が発生した。
発生してまだ4日か5日だが……。」
「でも、それならどうして連絡をくれなかったの?!」
予想を裏切るカインの言葉に動揺しつつもそれをさえぎり、強い調子でローザが非難した。
「遅れれば苦労は無いさ。だが、城下町は疫病の巣窟だぞ?
デビルロードが使えればとっくに使者を送っていた。
今度の疫病は只者じゃない。患者と接触しなくても、周辺エリアに居れば感染率は8割を超える。
すでに死人も出た。」
驚異的な感染力だ。今までのバロンの歴史でもいくつか疫病はあったが、
ここまで強力なものは聞いた事がない。
「何てことだ……!それで、詳細は?!」
「落ち着け。……城下町の人間は、すでに人口の6割。
周辺の町や村の感染者は、昨日の報告で4,5割というところだな。多分、これからもっと増える。
幸い家畜や竜など人外の連中と、それと他種族との混血者の発病の報告は無い。
今は、うつるとまずいから城は閉鎖中だ。」
幸いまだ城内に感染者は出ていないとカインが続けたのを聞いて、
2人はやや安堵した。町は憂うべき事態だが、国政の中心がまだ持っていれば望みはある。
「それで、肝心の症状の方はどうなの?」
「それがなんだが……奇妙なんだ。」
急に、説明に窮したようにカインが口ごもった。
彼らしくない反応に、セシルもローザも首をかしげる。
「奇妙?今回の疫病は奇病なのか。」
「んー……まぁ、そうだな。
医者も白魔道士も聞いたことがないと首をかしげていたからな」
「もう、早く言って!」
歯切れの悪いカインに苛立ち、ローザはまた声を荒げた。
一刻も早く早く知りたい気持ちのためだ。
「妃殿下、カイン殿が困惑されるのも仕方ないのですよ。」
カインに助け舟を出したのは、ちょうどやってきた魔道士だった。
布をたっぷりと使った重厚なローブに身を包んだ、
見るからに位の高そうな魔道士である。
「あ、ジェイド殿。」
長めの前髪に隠れた瞳から表情はうかがい知れないが、
口元には柔和な笑みをたたえた好青年。だが正体は、太古の竜・レジェンドドラゴンの付与魔術師だ。
付与魔術師とは、魔法文字などを使って対象に魔法を施すことを得意とする魔道士である。
たとえば木の棒に呪文を刻み込んでロッドにしたり、
人形に妖術をかけてあたかも人がいるかのように見せかけたりするのだ。
「陛下も妃殿下も、無事にお帰りになられたようで。
今回の件は、カイン殿に代わって私が説明いたします。」
ジェイドは、新しく上がってきたらしい報告書を何枚も抱えていた。
今回の疫病の原因を分析する役に当たっているのだろうか。
「今回の疫病の特徴は、とにかく感染力が甚だしいこと、
そして、今カイン殿がおっしゃられたように奇妙な症状が特徴です。
外見や精神に異常をきたすといえば、よろしいでしょうか。」
なるほどと、セシルがうなずく。
「具体的には?」
「そうですね……。例えば四肢が獣のそれになったり、
狂ったように周りの人間を襲うかと思えば、逆に感情を失って極端に従順な状態になったりもします。
症状が進むと、外見と精神の両方に異常をきたします。
進行の速さには多少差があるようですが、
症状が重い患者は、もう外見も精神もすっかり人間ではなくなっています。
そうして外見と精神が変質してからわずか1日前後で、死に至ります。」
一通り聞いて、セシルもローザも納得した。
確かにこれではカインも説明に困る。
いくら友人の言葉でも、普通なら信じてもらえないだろう。
「ずいぶんひどいな……薬もないんだろう?打つ手が無いじゃないか。」
セシルの頭の中には、すでに苦しむ人々の姿があった。
今も外で大勢の人々が苦しんでいるのに、
手をこまねいているだけなどとても出来ない。何かないのだろうか。
「薬の件ですが……ダムシアンとエブラーナに情報提供を一昨日求めました。
あちらの使者が感染してしまっては困るので、声を封じる事が出来るアイテムを渡してあります。
明日くらいまでに判っても判らなくても一度返事を送るとお約束してくださったので、
明日中に転送されてくるでしょう。」
さすがに手回しがいい。ジェイドは国王代行を務めた宰相の知り合いで、
宰相が即位間もないセシルに推薦した人物だ。
最初は宰相の売り文句に戸惑ったものだが、彼の見る目は確かだったと思い知らされた。
とにかく目端がきくので、今ではカインと同じくらいセシルとローザを助けてくれる。
「現在わかっていることはこれだけです。
それにしても、即位半年でこれだけ外患と内憂が多いとうんざりいたしますでしょう。」
「まぁ、正直に言えば……。
カインもこの前せっかく帰って来たのに、ずっとこき使って本当にごめん。」
半年前の冒険の後、試練の山でずっとカインは修行していた。
即位式にも来なかった彼が、意外に早く帰ってきた理由はもちろんある。
「謝罪はけっこうだ。お前に手がかかるのは今に始まった事じゃない。
こき使って悪いと思っているんなら、さっさと信頼できる手ごまを増やせ。
そうすれば俺だって少しは楽になる。俺は部下の面倒を見るので手一杯なんだぞ。」
カインが戻ってきた理由は、色々ある。
一つは隊長選定の問題。竜騎士団の隊長になる条件は、エリートだけに厳しい。
ちょうど世代交代の時期があって古株がやめていったため、
今の所、現隊長のカイン以外で条件に合うものがいないのだ。
隊長なしでは、もちろん部下たちは困ってしまう。
他にも色々と竜騎士団には困りごとが多く、カリスマ性があるリーダーが求められている。
組織の中で一番信頼され、皆をまとめられるのはカインしかいないというのが団員たちの主張だ。
それを伝えに来た部下のグリーンドラゴンが、そうやって理詰めでカインを説得した。
部下の泣き落としにもセシルとローザの言葉にも動かなかったカインだが、
これには少し考えさせられた。
父が愛し誇りにしていた竜騎士団が困っているのだ。
これを放り出してしまえば、亡き父にひどく怒られる気がした。
「感謝しろよ、セシル。あの時あいつが俺を説得に来なかったら、
今頃お前は激務でミイラだったかもしれないんだからな。」
理詰めで迫られてもなお、踏ん切りがつかなかったカイン。
だが、何も山の中にこもって修行する事だけが父を超える手段ではないと、グリーンドラゴンに諭された。
その言葉でようやく決心したのだ。
人間に化けてやってきた時は、見た目こそカインと同じ位に見えたメスのグリーンドラゴンだったが、
やはり話してみると生きた年月の差を思い知らされる。
口で竜にはかなわない。
「もちろん、彼女には感謝してるよ。
ところで、今彼女はどうしてるんだい?」
こんな非常事態だ。
彼女や、その仲間である竜騎士団の竜や飛竜はどうしているのだろう。
「竜騎士団のグリーンドラゴンは、疫病がうつらないから全員町で調査に回っている。
ただ、城の中に病気を持ち込むとまずいから、報告は俺にテレパシーでよこしてくるが。」
「なるほど……。やっぱり、人間が動けないとなると厳しいな。」
竜たちがテレパシーを使えるのは幸いだが、
それでも人間が動けないのは厳しい。
この点においては、疫病は戦争よりもはるかに手ごわいと痛感した。
「ああ。門を開けられないから、町から食料も入ってこない。
仕方ないから、飛竜たちがダムシアンまでお使いだ。」
脳裏に、主人を乗せてお使いに行くのどかな様子が広がりかけ、慌てて消した。
そんなのんきな事を考えている場合ではない。
「対策を早くしないと、いずれ城の中にも広がるかもしれないし……。
一体何が病気を持ち込んだんだろう。手がかりはあるかい?」
「ん〜……ネズミといいたいところだが、
どうも空から降ってきたものらしい。」
今度は病気の出所を。と、思ったのに今度はこの返事。
つくづく妙な疫病である。腹が立つくらいに。
「……病気って、降ってくるものかしら?」
ローザは、呆れたような悩んでいるような微妙な顔でようやくそうつぶやいた。
「こないでしょうね、普通は。
ですが……これが妖術か何かであれば考えられるかもしれません。
私もそう考え、魔法にも何か似ているものがあれば情報提供をして欲しいと頼みました。
妖術は機密性が高い魔法ですから、見つかるかどうかわかりませんが……。
ただ、そうなると薬があっても術者を止めない限り被害が続く恐れもあります。
その代わり、犯人の見当はつくでしょう。」
「そうね。これだけの範囲に魔法をかけるとなると術者は限られてくるし……。
心当たりも少しはあるわ。ねぇ、2人とも。」
ローザが他の二人に同意を求める。
彼女の考えを当然の如く理解し、二人はうなずいた。
「ああ、もちろん。」
「当然やつらだろうな。」
ダークメタル・タワーの主、ヴァルディムガル。
彼ならば恐らく、これだけのことをやってのけるだろう。
今回の疫病をばら撒いたのはその配下か、あるいは同じ勢力に属する同ランクの別人かもしれない。
「以前話しておられた、ダークメタル・タワーの主人のことですか?」
「ええ、そうよ。」
未だにはっきりと耳に残る言葉。
底知れぬ自信に満ちた、孤高の王者のごとき風格を持った声。
思い出すたびに顔がこわばる感触を覚える。
「左様ですか。では、私はこれで。
また新しい報告が上がってきているかもしれませんので。
今お話した事をすべてこちらにまとめてありますので、
後でゆっくりご覧になってください。」
ジェイドが渡してきた書類の束を、セシルは受け取る。
「ああ、わかった。下がっていい。」
「それでは、失礼いたします。」
一礼すると、そのままジェイドは部屋を出て行った。
彼が去ってから少し間を置いて、セシルが深いため息をつく。
ようやく一息つける気になった。
「それにしても……こうも異常事態が続くなんて……。」
置いてあったティーポットから、ローザがお茶をついでカインとセシルに渡す。
またため息をつきながら、セシルは冷え切ったそれを一口含んだ。
「この前のダークメタル・タワーのぬしといい、
疫病といい……くそ、一体何がどうなってるんだ。」
カインは憎々しげにはき捨てると、手の関節が白く浮き出るほど拳を固く握り締めた。
「本当ね。それがわかったら苦労は少し減るのに。
リディアも帰って調べるっていってたけれど、何かわかる望みは薄いかもしれないわ。」
飛空艇ではなく、途中で会った幻獣の背に乗って彼女は幻界へ帰っていった。
最近起こる異常事態にはすでに幻界も動いていて、
幻獣王の指揮の下すでにおおよそ調べがついたらしい。
調べがついたといっても、その情報は属性や力のバランスなど、
精霊や幻獣にかかわりの深いものが主たるものだ。
リディアと一緒に幻界へ戻った幻獣は、その調査結果を彼女に伝えるために連れて行ったらしい。
「直接的な原因はね。でも、属性や力のバランスからわかる事もあるかもしれない。
今はその件はそっちにかけるしかないな。問題はこっちだ。」
「そうね。私たちは動けないし……。」
この状況では動く事もままならない。
相手は疫病だ。例え英雄と呼ばれていてもこれには勝てないだろう。
何より情報が少なすぎる。
「だが、ここに国王が戻ってきただけでも違う。
セシル、まだ腹の中ではお前に従わないやつは多いが……何とかまとめろ。
全てはそれからだ。」
「わかった。……何とかして見せる。」
疫病という、原因不明の恐怖と戦う民衆のためにも、
未だセシルへの反感が根強い城内をまとめる決意を彼は固めた。



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またアップが遅くてすいません。しかも兄さん忘れ去られています。
でも、ちゃんとセシル達と一緒にバロンに居るのでご安心を。
そしてまた病気。広範囲に一気に被害をもたらす素晴らしい大混乱アイテムです(最低 
ものすごい感染率と進行の速さは、セシルとローザの留守中という期間のせいです。
ほんとにあったら弟一類感染症ですねこれ。絶対かかりたくないですよこんなの。
次回も前半はセシルサイドです。そういえば、もうすぐ30話になるんですねぇ、これ。
気がついたら相当長いです。紙に刷ればほんの少しですけど。